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~多母さんにインタビュー~ (2)

啓発って何ですか!?

▽その1_啓発とは何ですか?

多母_意識というふうにいわれているところの開花、それが啓発です。

▽その2_その類語、悟りや光明(エンライトメント)を得るというような似たいい方がありますが、分けたほうがいいのでしょうか?

多母_はい。この場合には、気づくということが始まるステージが啓発、それが気づき続けていく状態が悟り。それによって本来ではないものを超えると解脱、そしてもともとの生まれでたところに到着する、または完全に開かれている状態が光明(エンライトメント)です。

▽その3_生まれでたというのは発生音※(生命は音とともに発生するとされ、その生命が発生したときのオンのヒビキ)の位置ですか?

多母_発生音の元です。ヘソ※(多母さん独自の用語で、あらゆるものの原初を「ヘソ」と呼んでいる。既刊「ヘソの話」風雲舎 を参照ください)です。一般的な用語でいうと涅槃、統一意識、ブラフマン、大我です。

▽その4_啓発とは人間の生得権なのか?

多母_啓発は生得権ではなく、もともとあるものです。種の中にすべての情報と時が入っていて、種が根を出して芽を出さないと、その種のすべてが見えないのと一緒です。
植物でいうと光、水、温度等すべての条件がそろったときにプログラムが始まる。それが起らないと開かれない。それを開くときを目覚め、開かれていない状態を眠り・夢。植物でいうと発芽してない状態、根も出てない、種のままの状態を眠り、夢。種の時が始まると目覚めです。
自然さです。もっとも自然であることです。

▽その5_啓発とはどのように得られるものですか?

多母_出来るだけ自分の秩序、自然さを取り戻す努力が必要です。啓発するということは自然なので、本来自然なものが努力するというのはあり得ないのです。 花が努力して咲いてるとか、鳥が努力して飛んでるとかいうことは、ありません。本来自然であるなら、努力、忍耐、後悔、そういう否定的な、圧力をかけている状態におもわれる言葉や、そういうものはありません。だけども遠くなってしまう状況から元に戻すためには、戻るための努力が必要です。
崩したら戻るということと、作り出すということに注目をする、意識を向ける、気をつける、忘れずにいるなどという修練は必要です。

▽その6_例えば身体においてはどういうことがいえますか?

多母_身体においては、過ぎないことです。
食べ過ぎない、疲れすぎない、過ぎないことですね。過ぎないというのはすることもしないこともです。なので調子がいい状態を出来るだけ保つことです。
車でたとえるなら、整備が十分してあることと、走行が問題なく進まれていくことです。要するに燃費が一番いい状態になっていれば良いです。

▽その7_心やマインド(思考)等についてはどうですか?。

多母_心はくつろいでいること、平安、平(タイラ)、満ち足りていることが大事です。
マインドを調整するには、あっさりしてること、すっきりしてること、はっきりしてること。一番大事なことは、自分が何をし、何を感じ、何を考えているかを常に、知っていることです。
そのすべてを自分の良心に問いただしているかどうかです。

▽その8_感情はどのようにあつかえば良いでしょうか?

多母_感情は、好む心地よい感情を常に自分が表現することが大事です。悲しむ、怒る、憂うという感情が好きかどうか、心地いいかどうか、快適かどうか、快適でなければ表現しない。快適であれば表現する。そうやって感情は扱います。
これは、マインドにしても、感情にしても通常自然であるならば、そのように過ぎたりとか、足りなかったりとか、注意をほどこさなくてはならないものは何ひ とつないので、あくまでもずれたという状況から考えて、その状況からの自己鍛錬・自己修練なのでその内容です。善から遠くならないための基準・基盤なの で、それを身につけること。啓発の価値、人が啓発するという価値を担う準備段階にとても大事です。必要不可欠です。

▽その9_内観というのはどんな位置づけになりますか?

多母_感情、マインド、思考それを知ること。自分の良心、根源、善の基準を知ることです。反省し後悔することは内観ではないです。

▽その10_師はどのような役割を持ちますか?

多母_自分でやることは可能なのです。だけれども自然さという秩序、または調和、そういうものが幼い、または、小さいときには善に対して強くいられないので、師が必要です。失敗しないために。
必ずしも必要とはしませんが、師を持たずして成功した者もいません。
釈迦においてさえも師はいました。師がいたので5年という苦行が出来たのです。師がいなければ苦行などはしません。いたとしかいえません。
イエスもヨハネが師でした。みんな師がいます。師というのは弟子が決めるので、何かの基準があって合格したとか、そういう先生等のようなものではないです。学ぶ者がでれば、それが師だからです。弟子をとるのが師ではないです。

▽その11_啓発に至る決定的要因、条件をお願いします。

多母_真理を求める力、求める求めです。自分自身に対する最高の注目がないと出ません。人に注目してるうちはないです。渇望を抱くといういい方があります が、私は「最高の注目」といってます。自分にまつわる沢山のクエスチョン、疑問、自分とはなにかとか、何処から来たのかとか、なぜ生まれてきたのかとか、 何をするのかとか、自分というものに対して最大の疑問、注目。それが啓発の最初の強力な条件です。人類は何度も輪廻転生しているといわれているのですが、 その理由は自分自身に対する最高の注目に至るまでに消え落ちるからです。

それに注目がいけばすぐに始まるということだとおもいます。輪廻転生というのは宿題を残しているとか、カルマとか、因果応報とかいろいろいわれているので すけど、私は自分自身に対する「最高の注目」、それに至る経緯だとおもっています。そして必ずそこには至る。そうするとそこから開きます。

その注目それ自体に完全に開かれないと間違います。例えば、自分自身が生まれてきた理由を救世主にしてしまったりとか、色々な、何者かになってしまうので す。自分の一番奥深いところ、根源に到達する。そこに触れるよりも、何かになってしまうから、渇望を抱いても失敗する者はいます。間違える者は沢山いま す。
ですから、ずっと気づいている状態の悟りまではいかないと、夢、眠りといって、目覚めても夢を見て眠ってしまうので、本当の意味での発芽まではいかないのです。

自然さが足りないとそうなり易いです。それから自分自身に対する偽りの欲求、時代が変わって、場所が変わって、人が変わるとなくなってしまうもの、あと は、人間世界といわれている、社会的なステイタス、基準そういうものが邪魔をします。基本的にそれがマインドですから。悟ったといって人を批判したり、区別してる者は沢山いるのです。その意味では、渇望を抱いて究極のものに至るまでは何度も輪廻転生してきます。
渇望を抱いて、自分に最大の注目をして、ベクトルが完全じゃないものはいます。99.99%がそうです。
人類の中で自分自身に最大の注目をすることがない人生を送るものは普通99.99%。その類いまれな最も幸運な、最も幸せな者たちの中でベクトルを間違わないで進む状況に至らない者も99.99%です。

だから本当に絞り込みなので、濃縮ひと垂れにしたほうが確実ですかね。
サマージャンボで、三億円当てるより難しいです。確率ではとてもいかないものです。ものすごい低い確率ですよね。でもその可能性は誰にでもあります。だからすさまじい可能性。
昨日寝ていた、今日も眠りこけていて、もうそんなものはといっていた者が、いきなり明日、目覚めるということはありえますから。それをアセンションとか、私はクォンタムリープといいますけど。突然すべてに立つということです。

▽その12_多母さんがかつて暮らした、アイルの頃は啓発した人だらけだったのですか?

多母_夢をみる状況も眠りこけるという状況もありませんでした。だからといって最高のところまでいっていたかというと、それは違います。
レベルというか、生まれでるところが忘れることが出来るようなステージなので、悟りまでです。気づき続けているという状況です。だから宇宙のことも、自分自身のことも全て知っているわけです。

▽その13_解脱、光明となるとその中でも違うのですか?

多母_ジジ・ババとか長(オサ)とかそういう状況の者。つまり、宇宙意識、神意識、統一意識の者が長になります。光明は統一意識、解脱は神意識、悟りは宇宙意識、気づきが起る状態が純粋意識です。気づくという状況のものが起るときは、純粋意識というものに何回もタッチしているわけです。
触れては外し、触れては外し。触れ続けているという状態が宇宙意識です。そのもっと奥へ入っていく、奥へ開かれていくという状態は、神意識、統一意識です。
それで、神意識は、非常に統一意識と出たり入ったりしています。一番ボーダーが曖昧なところです。統一意識の中に入ってる状況の一番すれすれ、神意識は絶対に宇宙意識ではないです。本当にボーダーが難しいところが、神意識、統一意識です。それと同じ理由で、純粋意識、気づきが始まったところは、夢、目覚め と行ったり来たりします。マハリシ※(インド人で聖者といわれている、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー)はよく定着といういい方をしていますけど。一番怖 いのは、一度気づき、何度も繰り返してタッチしている状態は非常に曖昧なので、それを定着していると誤認するマインドがあることです。定着を求めるので。

定着している状態ではないのだけれども、自分は宇宙意識に開かれたという状況で眠ってしまっている人がいます。それは、純粋意識に気づく、タッチすると非 常に今までにない幸福感があるからです。何か非常に満たされたおもいになるのです。または常におもい起こしていくことが出来る、自分がその幸福感を得たと いうことが手放せないのです。冷静に自分に注目することができないのです。自分は開かれた、という陶酔に入ってくのですね。

ここがベクトルを間違うところです。そのような人たちが沢山います。あくまでも淡々と、何であろうとも自分が宇宙意識、神意識、統一意識に進んで行くということにのみ注目してないと起る現象です。これはアイルの時代にはなかったことです。

▽その14_それは社会性からの逃避ですか?

多母_個人的な非常に狭い範疇での幸福、平和、そういう枠から出られない、超えられない状況の人がいます。分かりやすい方法として、自分の幸福感を損なう ようなこと、自分の幸福感が失われてしまうであろう活動を非常に否定するのですよ。非常に保守的になるのです。自分が幸福である、至福感のみに注目して、 与えようとしないのです。周りに与えるという命の第一の法則がスタートしないのです。持ってるものをすべて与えることをしないと進化はないのです。あらゆ る経験も段階も捨てていくものは次の段階へ、自分から決めて至福感に注目することを手放すのです。

さらに進むことを求めなくなる、プログラムが途中でとまってしまうのです。根は出たまま、芽は出ない。で、今生が終わります。多分来世も終わりです。そこ からがまた長い輪廻転生。一応自己陶酔といいますが、何か気が楽になるらしいのですよ。私の周りにも寝ている人がいます。身体の調整も出来て、マインドの 調整が出来てきて、今までにない喜びや満足、身体の軽やかさ、そういうものを手にしたとき、それが全てで、生産性も構築性、創造性も力も手にしないので す。全部捨ててしまうのです。今までは生活力とか、生産力とか、勉強、獲得とかそういうものを求めていたにも関わらず、それを捨ててしまうのです。それで なんだかよくわからないふわふわした人間がやたら出来てしまうのです。あれはなんでしょうか?

▽その15_どうすれば、それを避けられますか?

多母_わかりません。それは継続して瞑想して活動するしかないです。基本的に活動が落ちるのです。それも個人活動ではない、公(おおやけ)、奉公が落ちる のです。当たり前の人生を捨てるのです。それで幸せなムードみたいのばかりつくるのです。その幸せなムードを自分と自分の家族から、さらにお隣へ、さらに 学校へ、さらに地域へ、さらにと拡大する努力をしないのです。

そういう人たちの共通して見える性質は基本的に、「ケチ」です。自分の至福には時間もお金も使うが、人の至福や幸福にはお金も時間も絶対出さない、というものを見ます。
この宇宙意識から神意識へと向かう努力をしてもらうために愛の実践者づくりといってやっていたんですけど、ここからスタートだというときに、みんなウォーミングアップで温まって終わってしまうのです。それで、否定的なものに対してさらに否定的になるのです。

なぜならまた寝てるのですから。幸福感をもったまま寝るのです。だから渇望をしなくなってしまうのです。寝てるのにも気づかないのです。今までは苦しさ や、いろんな疑問や、不都合や、種を開かなくてはならない条件が満ちているのですよ、そのために頑張って行って、日の目をみた瞬間に寝るのです。そこか ら、日の目を見たところから成長となるはずなのに、日の目見て寝るのです。冷たくて、寒くてしょうがない、いたたまれない環境の中にいて、なにかとても安 心できて、温かい寝袋に入った、そのような感じです。でそのまま寝てしまうのです。

そしてまた数万回、輪廻転生です。多いですよ。釈迦から今までにしても何人啓発したんだろうというぐらいです。啓発はするのですが、解脱までいかないのです。
新しい煩悩、未顕現のプラクリティなど、正しい知識といわれているのですけど、知に溺れる方向に行ってしまうのです。だから、ベクトルは素晴らしく大切な問題です。
そのときに、君は寝ているということを、しっかり起きるためにひっぱたいてくれる師匠が必要なのです。そうでないと本人は、出来た、成功したと思っているから、そこから自分は寝てたんだということに気づくまで時間がかかるのです。

純粋意識、自分の意識にタッチしてそれがずっと定着してくる頃に、自分のハートから自分の今までに至る過去の経歴を、まるで死のときに起る状況のように、 バルド※(死と再生の間)の中で起る状況のように、フィルムのフィードバックが始まるのです。すると、過去生を沢山見るわけです、前世からずっと。そのと きに自分はこの時のことが今に至ってるんだという気づきが始まり、プロセスを進んで行く状況で、途中で終わってしまった生を見るのです。ということは、そ こで寝たともいえるし、本当に時間ギリギリだとすれば、死・バルドの中でもう一回ジャンプできるので、こちらに戻ってこないのです。肉体を持ってこちらに 来るということはないのですよ、目覚めたままなら。

▽その15_本来そのためにお坊さんが、死んだときに経をあげているのですね。

多母_そうです。引導を渡すのです。一つずつ、煩悩も自分自身のカルマも全部そこでクリアするのです。四十九日とか、その間があるはずです。そのときにジャンプできるはずなのです。そのときにジャンプしないで戻ってきたということは、寝たのですね。
本来それがお坊さん・神官の役割です。神官はカミ合わせといってカミにアワせていくのです。それでカミに引っ張っていってもらうわけです。

▽その16_チベット仏教のお経の中に、明確にいっていますね。

多母_はい。ちゃんと諭す、聴かせる。あれが本当の諭しですから、説法です。
チャンスとしては、そこまでが生のぎりぎりだから、死んだといっても肉体の問題なので、魂のチャンスは肉体が終わってもあるのです。まるで、坂道を下って いくときにブレーキを踏みさえしなければ、エンジンを切ってもそのまま進むのと同じで、高いところから降りれば降りるほど、飛距離は長いはずなのですよ。 それがバルドの中で絶対起こるので、それをチベットのお坊さんたちはずっとやっていたのですよ。肉体を離れて魂が迷わないで、バルドをくぐれるようにずっ と声をかけていたはずなのです。その声の導きによって通っていって解脱っていう形をとっていくはずなのです。

瞑想はこれの訓練みたいなものです。瞑想のときにどの解脱を起こしているか気づいていたら瞑想ではないです。ずっと渡って、それで、浮上していくときに、 あるときそれを気づきとしてそれを全部見るわけです。それで、それが起る。現象の方へ来たときにあるとはっきり確認できる装置がついているので、それに よって、悟り、解脱というものを自分自身が意識できるわけです。それは、意識というものと分けられない状態の中に入っていった深さを、こちらで具体的に深 いところから生まれでたものを認知するわけです。だからバルドの中を生きて経験できる方法を瞑想といってもおかしくないとおもいます。

▽その17_音霊[オトダマ]=(スートラ)の価値はその辺に現れてくるのですか?

多母_はい。言霊[コトダマ]=(マントラ)もそこに入ります。マントラは音だけなので、音の価値でずっと入っていく、どこまでも深く入っていく導きにな るわけですけども、出てきたときに正しいスートラを知っているものはそれによって具象化されているものが何であるかを、きちんと認知することは可能です。 正しく形作ることが出来るから、とても自然にそれに気づきます。ですから、~のようなという曖昧な表現はないのです。~だ、~である、そういう状況になる はずなのです。

なので、一番困るのは、そのタッチし続けていく中での定着から次へ行かないことが。マインドの副産物だとおもうのですけれど。ありとあらゆるところで失敗 させるのです、本当に。宇宙意識に到達して神意識まで行かないと、その宇宙意識にもあるのです。自分の内面に気づいているのだけど、内側に気づくというこ とと、自分以外に気づきというものを観る、定着、それが一つに合わさって次ですから。それが一つに合わさらない人がいるのです。自分の内側に目覚めて、外 に目覚めて、内・外が一つであると目覚めて、そしてそれが、まったく分離しているものではないことに気づくのですけども、その内側に気づけて外に気づけ て、それを一つに出来ないのですもの。そうすると、至福感を手放せない人たちと同じように、自分は自分、外は外、また分けてしまうのです。

もちろん分かれているものだから、分かれてはいるのですけど、それを、分けてみるものではないのだけど、分けて行ってしまうのです。だからマインドはどこ までも成功させないのです。神意識に行くまでの状況は相手に対して否定的になる状況は沢山あります。邪魔にするとか、師匠に対してさえ、邪魔にしますから ね。タッチする状況の時は、好きか嫌いかなどというものが出てきますけど、最終的に、自分が師匠と決めた者に対しての自分自身のマインドで師匠を否定しま すからね。そうすると、ここからは自分で出来るとか、自分で決めますから。
禅には考えられないプログラムですね。禅では師匠を捨てるということは全部を捨てるということになりますからね、死んでも無理です。

▽その18_啓発は社会や環境にどのような影響を与えるものですか?

多母_一人の人が啓発をする、悟り、解脱、光明と進んで行くプロセスは、社会にとって、周りの人たちにとって、大いなるチャンス、気づきの拡大、平和の立 脚、富、力の拡大を担います。つまり悪を減少させていく方向ではなく、善を拡大していく方向が強まります。闇を薄くする効果ではなく、光を引っ張って来る 効果です。これによって化けます。

▽その19_啓発は宇宙法で生きるということですか?

多母_「宇宙法を知る」です。まずタッチです。または自然法を活用できる状態です。啓発していない人は自然の支援を受けるのは非常に難しいです。努力する ことによって自然の摂理を自分の方に引き寄せることは可能です。だけども、啓発した人は、純粋意識、気づきにタッチができ始めてくると、そのタッチの深 さ、定着の度合い等によって、非常に豊かに支援されます。人間は当たり前に、地球上にいる動植物とはもともとの作られ方が異なっているので、そういうこと があっていいはずなのです。

▽その20_最後に多母さんからみんなにメッセージをお願いします。

多母_もっと豊かに与えっこしましょうよ。人間は知ってます、心の奥底で自分だけが、幸せでは本当の幸せではない。それにもっと正直になっていってもらえ たらいいですね。もっと自分以外の他者に協力することをもっともっと注目していいとおもいます。もちろん自分も救わないとダメだということもあるのだけれ ども、救ってもらえることもあるから、もっと協力的でいいとおもいます。

 

ありがとうございました。

 

インタビュー/編集部 廣田武志

 

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